「低所得者だけ」ではない公営住宅――東京・ウィーン・英国・シンガポールで違う入居後のルール
公営住宅に入れる人は、世界共通で「所得が低い世帯」と決まっているわけではありません。東京は低所得層を中心に毎年収入を確認し、ウィーンは中間所得層まで含む広い入口を設け、英国は住宅の必要度で入居順位を決めます。シンガポールの公的賃貸は、ほかに住まいを確保できない世帯へ強く絞る仕組みです。
さらに大きな違いは入居後にあります。収入が増えたら家賃を上げるのか、契約を更新しないのか、それとも原則として住み続けられるのか。 この設計が、入居者の安心と、空きを待つ人への公平性を左右します。
この記事で分かること
- 東京は毎年の収入に応じて使用料を決め、一定の高額所得者には明渡しを求める
- ウィーンは入口の所得上限が比較的高く、入居後の定期的な所得再審査を原則としない
- 英国では自治体ごとに入居順位が異なり、終身型と有期型の契約が併存する
- シンガポールの公的賃貸は、住宅を自力で確保できない世帯向けで、契約更新時にも資格を確認する
まず押さえたい4制度の違い
結論からいえば、4制度は同じ「公営住宅」という名前で一括りにできません。対象とする所得層も、住宅政策の中で担う役割も違うからです。
- 東京の都営住宅:住宅に困窮する低所得世帯を主な対象とする
- ウィーンの市営・助成住宅:低所得層だけでなく中間所得層も利用しやすい
- 英国のカウンシル住宅・社会住宅:所得だけでなく、ホームレス状態、過密居住、健康上の必要などを重視する
- シンガポールの公的賃貸:住宅購入や民間賃貸、家族からの支援が難しい世帯の受け皿となる
| 地域・制度 | 入口の主な基準 | 家賃の決め方 | 入居後・期間 |
|---|---|---|---|
| 東京・都営住宅 | 所得、住宅困窮、居住要件など | 世帯所得と住宅の立地・広さ・築年数など | 毎年収入を確認。収入超過で割増し、高額所得が続けば明渡請求の対象 |
| ウィーン | 所得上限、居住歴、在留資格など | 市営・助成住宅ごとの規制された条件 | 入居後の所得を定期的に再審査しないのが基本 |
| 英国・イングランド | 自治体の待機名簿と住宅必要度 | 社会家賃は政府の算定式。Affordable Rentは原則として市場家賃の80%以下 | 終身型のsecure tenancyと、通常5年以上の有期型が併存 |
| シンガポール | 市民権、世帯構成、所得、資産、家族支援や他の住宅手段の有無 | 所得、住戸型、過去の住宅補助利用歴 | 期間付き契約。更新時に資格と家賃を再確認 |
ここで注意したいのは、ウィーンでは市営住宅と助成住宅、英国では自治体住宅と住宅協会の住宅が制度上重なっていることです。以下の比較は、各地の代表的な公的・社会賃貸の仕組みを取り上げたもので、すべての物件に一律の条件が適用されるわけではありません。
東京は「毎年の収入」と「住宅の条件」で負担を調整する
東京の特徴は、入居時だけでなく、入居後も世帯収入を確認して使用料へ反映する点です。
東京都によると、都営住宅の使用料は毎年の収入報告をもとに、世帯の所得、住宅の立地、広さ、築年数などに応じて決まります。単に「所得の何%」とするのではなく、支払能力と住戸から得られる便益を組み合わせる考え方です。
収入が増えても、直ちに退去ではない
都営住宅に3年以上住み、所得月額が入居収入基準を超えると「収入超過者」になります。この段階では明渡しは努力義務ですが、通常の使用料に割増し分が加わります。
一方、5年以上入居し、直近2年間続けて基準を超える「高額所得者」は扱いが異なります。
- 使用料は近隣の同種の民間住宅並みに引き上げられる
- 東京都の審査手続きを経て明渡請求の対象になる
- 病気、災害など特別な事情があれば、明渡期限を延長できる場合がある
つまり、所得上昇に対する最初の調整弁は家賃であり、一定水準を継続して超えた場合に明渡しへ進む仕組みです。
2026年の東京都議会では、都営住宅の入居期間見直しや入替え促進を求める意見が出ました。東京都側は、毎年の収入認定、収入超過者への割増し使用料、高額所得者への明渡請求を現行制度に沿って実施していると説明しています。待機者との公平をどう確保するかが、現在も議論の焦点です。
長期居住には生活上の意味もある
空きを増やすことだけを重視すると、高齢者や子育て世帯が築いた近隣関係、通院、通学、介護の動線が切れる可能性があります。一方、所得が上がった世帯が低廉な住宅を長期間利用すれば、入居できない困窮世帯から見て不公平感が生まれます。
東京の制度は、その間を「割増し使用料」「高額所得者の明渡し」「特別事情への配慮」で調整しています。ただし、期限を一律に区切る方式ではないため、住宅をどれだけ循環させられるかは収入認定と個別対応の運用に左右されます。
ウィーンは中間所得層まで入口を広げる
ウィーンの核心は、公的な住宅を最困窮層だけの例外的な住まいにしないことです。
2026年から適用される市営・助成賃貸住宅の所得上限は、単身世帯で年間純所得6万1,280ユーロ、2人世帯で9万1,320ユーロです。所得上限はあるものの、東京やシンガポールの公的賃貸より幅広い層を入口に含める設計といえます。
申込みでは所得だけでなく、ウィーンでの継続した主たる居住、国籍・在留資格、世帯構成なども確認されます。2026年に始まった新しい割当制度では、条件を満たした申込者に「Wiener Wohn-Ticket」を発行し、個々の生活事情に応じたポイントで順位を付けます。市は年間約1万4,000戸を割り当てるとしています。
家賃負担だけでなく、都市への定着を重視
新制度では、提示される住宅の家賃が世帯所得の50%を超えないことも条件です。また、申込者には原則としてウィーンでの一定期間の居住歴が求められます。
この組み合わせには明確な狙いがあります。
- 所得上限を高めにして、働く中間所得世帯を排除しすぎない
- 居住歴を求め、すでに都市で暮らす人を優先する
- ポイント制により、同じ資格者の中でも住宅の必要度を反映する
- 入居後は所得上昇だけを理由に定期的な退去判定をしない
OECDの比較資料では、オーストリアの社会住宅は入居後の所得を定期的に再審査しない制度に分類されています。このため、就職や昇給で収入が増えても、住宅を失うことへの不安が小さい。一方で、所得が上がった既存入居者にも便益が残り、新規申込者へ住戸を回しにくいという反論があります。
OECDは2026年のオーストリア経済審査で、限られた利益しか取らない住宅事業者の住宅や社会住宅について、所得上限を引き下げれば、より必要度の高い世帯に配分しやすくなると指摘しました。ウィーン型の強みである幅広さは、同時に「誰まで公的支援に含めるか」という論点を抱えています。
ここがポイント: ウィーンは、入居者を低所得層に限定して住戸を短期間で回すより、幅広い所得層が長く暮らせる住宅を確保し、地域の所得構成を混ぜる方向を選んでいます。
英国は「入居順位」と「契約の強さ」を分けて考える
英国、特にイングランドでは、申込み資格があっても入居できるとは限らず、住宅の必要度と待機順位が決定的です。
公営住宅への申込みは各自治体が受け付け、それぞれが割当ルールを定めます。一般に、ホームレス状態、過密な住環境、現在の住宅が健康状態を悪化させている世帯などが優先されます。待機名簿に登録されても、住戸の提供は保証されません。
終身型と有期型が併存する
入居後の契約には複数の型があります。
- Introductory tenancy:新規入居者向けの試行期間で、通常12カ月
- Secure tenancy:契約違反などがなければ、原則として生涯住み続けられる
- Flexible tenancy:通常5年以上の有期契約で、終了時に更新、終身型への変更、不更新を判断する
自治体によって採用方針は異なります。たとえばオックスフォード市は、12カ月の導入契約後に終身型へ移る方式を基本とし、有期契約の利用を例外的な場合に絞っています。
これは英国制度の重要な点です。国の法律が有期契約を認めていても、各自治体が必ず住戸の回転を優先するわけではありません。子どものいる世帯、高齢者、障害や病気のある人について、生活の安定を優先する自治体もあります。
家賃は日本ほど直接的な所得連動ではない
イングランドのSocial Rentは、地域の所得、物件価値、寝室数などを使う政府の算定式が基礎です。2026年4月からの基準では、既存入居者の年間家賃引上げは原則として消費者物価指数(CPI)プラス1%までとなっています。
別枠のAffordable Rentは、原則として市場家賃の80%以下です。そのため「社会住宅」という同じ看板でも、物件種別によって負担水準が違います。
東京が世帯所得の変化を毎年の使用料へ直接反映するのに対し、英国では住宅自体の算定家賃と、住宅手当など入居者側への支援を組み合わせる色合いが強い。この差は、収入が増えたときに何が変わるかにも表れます。
シンガポールは「ほかに手段がないか」を厳しく見る
シンガポールのPublic Rental Schemeは、4制度の中で最も強くセーフティーネットへ寄せた仕組みです。
住宅開発庁(HDB)は、申込者の所得だけでなく、世帯人数、住宅に使える予算、個別事情を総合的に審査します。さらに、申込者や世帯員が国内外の不動産を所有していないこと、自力で民間賃貸や住宅購入ができないこと、子どもなど家族から住居・資金の支援を受けられないことも確認します。
家族世帯では原則として申込者が21歳以上のシンガポール市民で、所定の家族単位を構成する必要があります。単身者向け制度では、未婚者や離婚・別居した人は原則35歳以上など、年齢と世帯構成の条件もあります。
家賃差は所得と過去の補助利用歴で大きい
月間世帯所得が800シンガポールドル以下の初回利用者の場合、月額家賃は1ルームで26~33ドル、2ルームで44~75ドルです。所得が801~1,500ドルになると、初回利用者の家賃は1ルーム90~123ドル、2ルーム123~165ドルになります。
同じ所得帯でも、過去にHDB住宅の購入など公的な住宅補助を利用した「2回目」の申込者は家賃が高くなります。限られた補助を初めて利用する世帯へ厚く配る考え方です。
契約は更新制で、入居者は期限の3カ月前から更新を申請できます。HDBは更新時にも資格を確認し、所得と住宅利用歴に合わせて家賃を見直します。収入が初めて800ドルの境を超えた場合などには、家賃上昇を免除する措置もあります。
ここでは、住み続ける権利よりも、現在も公的賃貸を必要としているかが繰り返し問われます。住宅所有を政策の中心に置くシンガポールでは、公的賃貸は長期的な標準住居というより、購入も民間賃貸も難しい世帯を支える役割を担っています。
所得制限だけ比べると制度を読み違える
公営住宅の公平性は、入口の所得上限だけでは判断できません。少なくとも「入口」「家賃」「出口」の3段階を見る必要があります。
入口――困窮度をどこまで確認するか
東京は所得と住宅困窮を中心に審査します。英国では自治体の待機名簿で住宅必要度が順位を左右します。シンガポールは家族支援や他の住宅手段まで確認するため、入口が狭い。ウィーンは所得上限を設けつつ、中間所得層まで含めます。
入口を狭くすれば、限られた住戸を困窮世帯へ集中できます。ただし、公的住宅に低所得世帯が集中し、地域の孤立や偏見を招くおそれがあります。入口を広くすれば所得層を混ぜやすい一方、最も困っている人が待たされる可能性があります。
家賃――負担能力に合わせるか、住宅ごとに決めるか
東京とシンガポールは、世帯所得の変化が家賃に強く反映されます。英国のSocial Rentは物件価値や地域所得などの算定式が中心です。ウィーンは家賃を抑えた市営・助成住宅を大きな住宅市場の一部として供給します。
所得連動家賃は、収入の少ない世帯へ負担軽減を集中できる反面、昇給すると家賃が上がるため、働いて所得を増やす動機を弱める「崖」が生じかねません。シンガポールが一定の場合に家賃上昇を免除するのは、その急変を和らげる対応です。
出口――住戸の循環か、暮らしの安定か
出口の違いは最も生活へ直結します。
- 東京:収入超過は割増し使用料、高額所得が続けば明渡請求
- ウィーン:所得上昇を理由とした定期的な再審査は基本的に行わない
- 英国:終身型なら原則継続、有期型なら期間満了時に判断
- シンガポール:更新時に資格を再確認
短期更新は住戸を必要な人へ回しやすい一方、子どもの転校、通院先の変更、地域の支援関係の断絶を招きます。終身に近い契約は生活を安定させますが、待機者へ空きが回る速度は落ちます。
日本で議論するなら「一律の期限」より先に見るべきこと
日本で入居期間の見直しを議論する場合、単純に「何年で退去」と決めるだけでは不十分です。対象世帯によって、退去がもたらす負担が大きく違います。
まず確認すべきなのは次の4点です。
-
誰を再審査するのか
全世帯か、一定所得を超えた世帯か。高齢者、障害者、子育て世帯をどう扱うか。 -
所得が上がったときに何を変えるのか
家賃を段階的に上げるのか、住み替えを支援するのか、契約を終了するのか。 -
退去後の選択肢を用意できるか
民間賃貸の紹介、家賃補助、中間所得者向け住宅がなければ、退去は新たな住宅不安を生みます。 -
空いた住戸が本当に次の世帯へ渡るか
修繕に時間がかかる、応募の少ない地域に空きが偏るといった問題があれば、期限だけ設けても待機期間は縮まりません。
ウィーンから学べるのは所得上限の高さだけではなく、幅広い層を受け入れられるだけの住宅を都市政策として確保している点です。シンガポールの更新制も、低家賃の提示、所得上昇時の緩和、住宅購入への移行策と一体になっています。英国では、有期契約を認めつつも、自治体が終身型を選ぶ余地を残しています。
日本の次の論点は、退去を増やすか否かではなく、収入が回復した世帯をどこへ移し、その後も無理なく家賃を払えるようにするかです。 都営住宅の入居期間を見直す議論では、明渡し件数だけでなく、住み替え先、空室の再募集までの期間、待機世帯の属性をセットで示せるかが実効性を測る基準になります。
参照リンク
- 東京都住宅政策本部「募集住宅一覧の見方・その他共通事項」
- 東京都例規集「東京都営住宅条例」
- 東京都議会「令和八年予算特別委員会速記録第四号」
- Wohnberatung Wien「Wohnungsvergabe NEU」
- Wohnberatung Wien「2026年住宅案内」
- OECD「Characteristics of social rental housing」
- OECD Economic Surveys: Austria 2026
- GOV.UK「Apply for a council home」
- GOV.UK「Types of tenancy」
- GOV.UK「Policy statement on rents for social housing」
- Oxford City Council「Council Housing Tenancy Policy」
- HDB「Eligibility for Public Rental Scheme」
- HDB「Rents and Deposits for Public Rental Scheme」
- HDB「Tenancy Renewal for Public Rental Flats」
