「申請できる」だけでは足りない――デンマーク、エストニア、日本で違う行政DXの完成度
行政手続がオンラインで完結する国と、最後に窓口や紙が残る国。その差を生むのは、申請フォームの数ではありません。本人確認、行政機関どうしのデータ連携、通知、支払い、職員側の処理までを一つの仕組みにできるかが分かれ目です。
日本では2026年9月以降の本格運用を見据え、横須賀市、裾野市、熊本市、菊池市で次期オンライン申請サービスの先行実証が進んでいます。出生や児童手当、医療費助成、水道など、生活に直結する手続を「送信後もオンライン」でつなげられるかが焦点です。
この記事で分かること
- デンマークとエストニアが強いのは、共通基盤を行政全体で使っているから
- 日本の課題は、申請後の補正、審査、通知まで一貫してデジタル化すること
- 自治体ごとの工夫だけでは、全国で同じ使い勝手を実現しにくい
- オンライン化と同時に、使えない人を支える窓口も残す必要がある
日本で始まった実証は「送信後」を変えようとしている
今回の実証で重要なのは、電子申請の入口を増やすことより、受付後の往復を減らすことです。
デジタル庁の次期オンライン申請サービスは、住所、氏名、家族情報などを行政が保有する情報から申請フォームへ転記し、同じ内容を何度も入力する負担を減らす設計です。申請内容に不備があった場合の補正連絡や、通知書の送付もオンラインで行う構想が示されています。
2026年7月31日時点の先行実証には、次の自治体と手続が含まれます。
- 横須賀市:出生連絡票、乳幼児医療費助成、児童手当
- 裾野市:児童手当、出生届
- 熊本市:上下水道の使用開始、出産育児一時金、出生届
- 菊池市:重度心身障がい者医療費の受給資格認定、児童手当
出生直後は、保護者が複数の制度を短期間に利用する時期です。氏名や住所、子どもの情報を手続ごとに入力し、別々の担当課から連絡を受ける仕組みでは、申請画面だけを電子化しても負担は大きく減りません。
一方、水道の使用開始は、引っ越しという「生活上の出来事」に行政サービスを結び付ける例です。役所の組織や申請書の名称ではなく、住民が直面する場面から手続をまとめられるかが問われます。
ここがポイント: オンライン完結とは、申請ボタンを押せることではありません。本人確認、データ転記、審査中の補正、結果通知まで、住民が紙や窓口へ戻らず進められる状態を指します。
デンマークとエストニアは何が違うのか
両国の強さは、個別サービスの豪華さではなく、行政全体で再利用できる部品を先に整えた点にあります。
国連の「E-Government Survey 2024」では、電子政府発展度指数でデンマークが1位、エストニアが2位でした。OECDの2023年デジタル政府指数でも、両国は上位10か国に入っています。
ただし、ランキングだけで「すべての手続が便利」と判断するのは早計です。国連の指数はオンラインサービスだけでなく、通信基盤や人的資本も含みます。OECDの指数も、個々の申請画面ではなく、政府横断の戦略、データ活用、共通基盤、利用者中心の設計などを測っています。
デンマーク:入口、本人確認、通知が共通している
デンマークでは、行政のオンラインサービスに共通のデジタルID「MitID」を使い、公的機関からの通知は「Digital Post」で受け取る仕組みが整っています。
この組み合わせが重要です。サービスごとに別のIDを作り、結果は郵便で待つ形ではありません。利用者は共通の方法で本人確認し、行政からの連絡を同じデジタル郵便箱で確認できます。
同時に、デジタル利用が難しい人のための例外もあります。Digital Postを受け取れない事情がある場合は、免除を申請して紙の郵便を受け取れます。オンラインを標準にしつつ、全員に同じ手段を強制しない設計です。
エストニア:データを一つの巨大DBに集めない
エストニアの基盤「X-tee」は、行政機関などの情報システムが安全にデータを交換するための層です。認証、権限管理、処理記録、暗号化、電子署名を備え、参加する組織が合意に基づいて他のシステムのデータを利用します。
ここで注目すべきなのは、すべての情報を一か所へ集める仕組みではないことです。それぞれの機関がデータを管理したまま、必要な範囲で接続します。
たとえば警察官は、本人確認書類を基に運輸当局のデータベースへ照会できるため、運転者が物理的な免許証を常に携帯しなくても資格を確認できます。住民に証明書を運ばせる代わりに、権限を持つ行政側が必要な情報を照会する発想です。
オンライン完結を左右する5つの条件
国の人口やIT企業の多さより、制度と業務を共通基盤へ合わせられるかが決定的です。
1.法律が電子処理を前提にしているか
押印、原本確認、対面確認が法律や実務慣行に残っていれば、途中までオンライン化しても最後に紙が必要です。電子署名を認めるだけでなく、「原本とは何か」「誰がいつ確認したか」をデジタル記録で担保できる制度が要ります。
2.一つのデジタルIDを広く使えるか
本人確認の方法が省庁、自治体、手続ごとに異なると、利用者は毎回違う認証を求められます。行政側も個別に仕組みを調達しなければなりません。
日本ではマイナンバーカードの保有率が2025年12月末時点で約8割に達しました。次の課題は、カードを持つ人の多さではなく、スマートフォンでの認証から申請、通知までを迷わずつなげることです。
3.役所どうしが安全にデータを渡せるか
行政がすでに持っている住所や家族情報を住民に再入力させるのは、データ連携が不足している表れです。ただし、何でも共有すればよいわけではありません。
必要なのは、次の条件を満たす接続です。
- 利用目的と参照権限が明確である
- 誰がいつデータを見たか記録される
- 本人がデータ利用を確認できる
- 誤った情報を訂正する窓口がある
- 障害時に行政サービス全体が止まらない
利便性と個人情報保護は対立するだけの関係ではありません。アクセス記録や権限管理を共通化すれば、紙のコピーが部署間を移動する仕組みより追跡しやすくなる面もあります。
4.住民側だけでなく職員側も変えられるか
オンラインで届いた申請を職員が印刷し、別のシステムへ手入力していれば、処理時間と入力ミスは残ります。審査、照会、決裁、通知を含む業務全体の見直しが必要です。
三重県志摩市では、自治体アプリへの事前入力とQRコードを窓口端末につなぐ仕組みなどにより、証明書発行業務を効率化し、職員の作業時間を1,950時間削減したとデジタル庁が紹介しています。これは完全オンラインの事例ではありませんが、住民の入力と職員の処理を同時に見直す効果を示します。
5.デジタルを使えない人の経路を設計しているか
高齢者、障害のある人、日本語に不慣れな人、通信環境が安定しない人まで、全員がスマートフォンだけで手続できるわけではありません。
デンマークの免除制度や、日本の「書かないワンストップ窓口」は、この問題への異なる答えです。後者は職員がデジタル技術を使い、来庁者が何枚もの申請書を書いたり複数の窓口を回ったりする負担を減らします。
オンラインを利用できない人のために紙の仕組みを丸ごと残すのではなく、職員が共通基盤への入口を支援する。 この形なら、包摂性と業務効率化を両立しやすくなります。
日本は遅れているのか
日本は改善しているものの、国全体で切れ目のないサービスを提供する段階にはまだ届いていません。
OECDの2025年デジタル政府指数で、日本は0.67でした。OECD平均の0.70を下回りますが、2023年からは0.19上昇しています。
この数字は、特定の自治体サイトの使いやすさを直接採点したものではありません。政府横断の戦略、共通基盤、データ活用、利用者中心の設計、先回り型サービスなど、デジタル変革を支える条件の成熟度を示します。
日本で難しさが増す要因には、国、都道府県、市区町村がそれぞれ多くの業務とシステムを持つことがあります。自治体ごとの工夫は住民サービスを改善する一方、申請方式や利用できる機能に地域差を生みます。
そのため、日本には二つの仕事が同時に必要です。
- 国が本人確認、申請、通知、支払いなどの共通部品を整える
- 自治体が住民の動線に合わせて業務を組み替える
国が画一的な画面を配るだけでは、地域ごとの制度や支援ニーズに対応できません。反対に、すべてを自治体任せにすれば、同じ手続をするのに市町村ごとに違うアプリや入力方法が必要になります。
「デジタル強制」への不安をどう扱うか
便利さへの期待と、取り残される不安は、同じ制度の中で解決しなければなりません。
行政DXを巡っては、手続時間の短縮や24時間申請への期待がある一方、スマートフォン操作への不安、個人情報の集中、システム障害時の対応を心配する受け止めもあります。こうした懸念を「デジタルに反対している」と片付けるべきではありません。
信頼を得るには、便利さの宣伝だけでなく、次の情報を見えるようにする必要があります。
- どの機関が、どの目的で個人情報を参照するのか
- 閲覧や変更の履歴を本人が確認できるか
- 誤登録をどこで訂正できるか
- システム停止時に期限付き申請をどう救済するか
- オンラインを使えない場合、どこで支援を受けられるか
完全オンライン化は、窓口をなくすことと同義ではありません。相談や複雑な事情の確認は人が担い、定型的な転記や照合はシステムに任せる。人員を減らすだけでなく、必要な相談へ振り向けられるかが評価軸になります。
次に見るべきは「利用できる手続数」ではない
2026年9月以降に注目すべきなのは、対象手続が増えたかではなく、住民と職員の往復が実際に減ったかです。
横須賀市、裾野市、熊本市、菊池市の実証では、次の点が判断材料になります。
- 申請から通知までスマートフォンで終えられた割合
- 同じ情報を再入力した回数
- 不備の補正にかかった日数
- 職員による転記や紙出力がどれだけ減ったか
- 高齢者や障害のある人への支援経路が機能したか
- 自治体をまたいでも同じ操作感を保てたか
欧州委員会の電子政府ベンチマークも、単純なサイト数ではなく、引っ越し、家族、進学、健康、起業などの「ライフイベント」に沿って約100の公共サービスを評価しています。役所の組織図ではなく、人の生活を起点に測るためです。
申請フォームを公開するだけなら、比較的短期間でできます。難しいのは、その背後にある制度、データ、職員の仕事、通知経路をつなぎ直すことです。日本の次期サービスが本当に変えるべきものは、画面ではなく、送信ボタンの先に残る分断です。
参照リンク
- デジタル庁「行政手続のオンライン化」
- デジタル庁「自治体窓口DX『書かないワンストップ窓口』」
- デジタル庁ニュース「住民を待たせない窓口へ。先進自治体に学ぶフロントヤード改革・窓口DXの理論と実践」
- OECD「Digital Government Outlook 2026: Japan」
- OECD「2023 OECD Digital Government Index」
- 国連「E-Government Survey 2024」
- エストニア情報システム庁「Data exchange layer X-tee」
- Life in Denmark「Digital Post」
- 欧州委員会「Digital Decade 2025: eGovernment Benchmark 2025」
