100円バスの全路線が赤字に 武蔵野「ムーバス」が問い直す公共交通の値段
東京都武蔵野市のコミュニティバス「ムーバス」は、現在すべての路線が赤字です。それでも、赤字という理由だけで廃止すべきサービスではありません。住宅地と駅を結び、高齢者や子育て世帯の外出を支える役割まで含めて判断する必要があるからです。
ただし、「公共サービスだから赤字でよい」とも言い切れません。運転士不足と運行費の上昇が続くなか、市は2026年度から2027年度にかけて、ルートやダイヤ、運賃、補完交通の組み合わせを検討します。
この記事の要点は次の4つです。
- ムーバスは7路線9ルートを運行し、2023年度は1日平均約7,000人が利用した
- 現在は車両費を含めると全路線が赤字で、燃料費や人件費の上昇により赤字幅も拡大している
- 採算だけでなく、通院・買い物・外出支援など他分野への効果も評価する必要がある
- 存続の可否より、誰の移動を優先し、運賃と税でどう負担するかが今後の焦点になる
30年続いたムーバスが再構築へ
今回の見直しは、直ちに廃止するためではなく、限られた運転士で運行を続ける仕組みを作り直すためのものです。
ムーバスは1995年、通常の路線バスが入りにくい住宅地と駅を結ぶ交通として運行を始めました。小型車両で路線バス網の隙間を埋める仕組みは、後に各地へ広がったコミュニティバスの先駆けとされています。
武蔵野市の資料によると、2023年度時点で7路線9ルートを運行し、1日平均の利用者は約7,000人。運賃は大人も子どもも100円で、料金の分かりやすさと使いやすさが特徴です。
ところが、運行開始から30年がたち、前提が変わりました。市が2026年6月に公表したムーバス運営の再構築方針では、次の課題が挙げられています。
- バス運転士を確保しにくく、突発的な運休のリスクがある
- 燃料費、人件費、車両費などの運行コストが増えている
- 高齢化や生活様式の変化により、求められる移動が多様になった
- 定時運行のバスだけでは応えにくい地域や時間帯がある
市は運転士不足に対応するため、2026年4月にダイヤを改正しました。さらに2026年度から2027年度にかけて、ルートとダイヤの見直しに加え、定時運行とデマンド交通などを組み合わせる可能性も検討します。
なぜ「全路線赤字」になったのか
100円という運賃は、運行原価から逆算した価格ではありません。誰でも利用しやすい公共サービスとして設定された価格です。
2025年6月の武蔵野市地域公共交通活性化協議会の議事要録で、市は全路線が赤字であると説明しました。
かつて一時的に黒字となった時期もありましたが、当時の収支計算には市が購入した車両の費用が含まれていませんでした。現在は車両費も含めて計算しており、ガソリン代や人件費の上昇も重なって赤字が拡大しています。
ここで注意したいのは、赤字額がそのまま「無駄な支出」を意味するわけではないことです。
図書館は入館料だけで採算を取らず、道路も利用者から通行料を集めて維持するとは限りません。コミュニティバスも、民間交通だけでは届きにくい移動を自治体が補うサービスです。運賃収入だけを分子に置けば、制度の目的上、赤字になりやすい構造があります。
一方、赤字を理由に検証を止めてよいわけでもありません。同じ費用を使うなら、利用の少ない時間帯を見直す、病院や公共施設への接続を改善する、小型車や予約交通へ切り替えるといった選択肢があります。
ここがポイント: 問うべきなのは「黒字か赤字か」だけではなく、その支出で誰のどの移動を確保し、別の手段より効率よく目的を達成できているかです。
採算表に表れない価値をどう測るか
コミュニティバスの価値は、車内の運賃収入だけでなく、バスがあることで減らせる他の社会的負担まで見なければ測れません。
国土交通省は、公共交通が医療、福祉、教育、環境など別分野にもたらす効果を「クロスセクター効果」として評価する考え方を示しています。国交省の説明が挙げるのは、高齢者の外出増加による健康増進、自家用車による事故の減少、就労機会の確保、災害時の避難手段などです。
通院や買い物を自力で続けられる
バスがなくなった場合、家族による送迎、福祉タクシー、行政の個別移送などが必要になる人もいます。交通費の帳簿では支出が減っても、家族や福祉部門へ負担が移るだけなら、地域全体の負担は軽くなりません。
ムーバスは、きめ細かな停留所配置によって高齢者や子育て世帯が外出しやすいことを、維持すべき価値の一つに位置付けています。毎日使わない住民にとっても、運転できなくなったときに移動手段が残っていることには意味があります。
路線バスと競合しない設計も必要
市の説明では、ムーバスだけで市内の移動をすべて担うのではなく、鉄道、民間の路線バス、タクシーなどと役割を分けます。ムーバスが住宅地から駅まで運び、その先は鉄道や路線バスを使う形です。
便利さだけを求めて長距離の直通路線を増やすと、既存の路線バスやタクシーから利用者を奪い、地域の交通網全体を弱くするおそれがあります。コミュニティバス単体の利用者数を最大化することと、地域交通全体を維持することは同じではありません。
地域条件が違えば、正解も変わる
武蔵野市は面積約10.98平方キロメートルの比較的コンパクトな都市です。車両1台が短い時間で複数回循環でき、駅周辺に一定の需要があります。
山間部や人口の少ない地域では、1周に1時間以上かかる路線もあり、同じ100円バス方式をそのまま移しても成り立ちません。定時定路線、予約型乗合交通、タクシー助成などを、地域の人口密度や目的地に合わせて選ぶ必要があります。
誰が決め、誰が費用を負担するのか
最終的な方針を決め、予算を負担する中心は自治体ですが、実際の運行は交通事業者と運転士なしには成立しません。
役割を整理すると、次のようになります。
- 国:地域公共交通の制度設計、補助制度、評価手法の整備を担う
- 自治体:地域の移動需要を調べ、計画、路線、予算、運賃方針を決める
- 交通事業者:車両の運行、安全管理、運転士の雇用と勤務管理を担う
- 住民・利用者:運賃を払い、アンケートや協議会、意見募集を通じて必要な移動を伝える
費用は大きく、利用者が払う運賃と住民全体が負担する税に分かれます。100円を維持すれば利用しやすさは保てますが、税による補填は増えやすくなります。運賃を上げれば収入は増える一方、頻繁に利用する高齢者や低所得世帯ほど負担が重くなり、利用減につながる可能性もあります。
そこで、全員一律の値上げだけでなく、一般運賃を見直しつつ、必要な人には定期券や割引制度を設ける方法も検討対象になります。ただし、対象確認が複雑になれば運転士の負担や事務費が増えるため、制度は単純であることも重要です。
地域で交わされている二つの意見
地域の議論は「残すか廃止するか」ではなく、安い運賃をどこまで維持し、限られた人員をどの路線へ配分するかに移っています。
市議会や地域のオンライン発信では、主に二つの受け止めが確認できます。
一つは、運賃の見直しが市民負担の増加につながることへの懸念です。100円という分かりやすい運賃はムーバスの利用しやすさを支えており、値上げによって外出を控える人が出る可能性があります。
もう一つは、特定路線だけを減便することへの公平性や、現在の駅中心ルートでは満たせない移動への意見です。公共施設や医療機関を直接結んでほしいという要望がある一方、直通化しすぎれば民間の路線バスとの競合が生じます。
どちらも無視できません。ただ、すべての要望を既存のバスで満たすことは、運転士不足の現状では困難です。利用目的と時間帯を調べ、定時運行を残す区間と、別の移動手段で補う区間を分ける判断が必要になります。
今後の焦点は「赤字額」よりサービスの中身
見直しで確認すべきなのは、削減額だけでなく、見直し後も必要な人が必要な場所へ行けるかです。
武蔵野市は2026年度から2027年度にかけて再構築を検討するため、現段階で将来のルートや運賃は確定していません。今後は少なくとも、次の情報をセットで示す必要があります。
- 路線・時間帯別の利用者数と収支
- 高齢者、子育て世帯、通勤・通学者など利用者の構成
- 減便やルート変更で影響を受ける地域と目的地
- 運賃を改定した場合の収入増と利用減の見込み
- デマンド交通などへ切り替えた場合の費用と予約のしやすさ
- 公費負担によって医療・福祉などで回避できる費用
住民側も、「家の近くを走ってほしい」という要望だけでなく、通院なら何曜日の何時台が必要か、駅までなら何分間隔なら使えるかを具体的に伝えることが大切です。自治体はその声を、実際の乗降データや運転士の勤務条件と照らして判断できます。
コミュニティバスは、黒字なら成功、赤字なら失敗という事業ではありません。しかし、赤字であることを免罪符にして現状を固定するサービスでもありません。
次の分岐点は、武蔵野市が路線別の負担と効果をどこまで見える形にし、100円運賃、路線再編、補完交通の組み合わせを具体的に示せるかです。その内容が、住民にとって「払う価値のある赤字」かどうかを判断する材料になります。
